平成最後の元旦を迎え、5月からの新元号に複雑な思いを抱きながら、4月1日の発表に思いを馳せている自分に気付くこの頃であります。
前年の平成30年を象徴する漢字は「災(わざわい)」でありました。
全国各地で地震・台風・豪雨水害・豪雪など、観測史上希(まれ)に見る異常気象や重大災害が多数発生し、多くの国民が被害を受けた年でありました。
被災された皆様に心からお見舞いを申し上げますとともに、一日も早い復旧復興がなされますよう祈らずにはいられません。
私がこれまでに体験や見聞した災害の中で、最も記憶に残っているのは、2011年(平成23年3月11日)に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)であります。
午後2時46分、震源地から遠く離れた地域でもゆったりとした大きな揺れが長く続き、瞬間的に遠方で大変な規模の地震が発生したことが感じ取れました。
テレビでは、船舶や自動車がおもちゃのように波に呑まれ、家屋が次々に倒壊し屋根に人が乗ったまま流されてゆく映像には、経験したことのない衝撃を受けました。
当時宮城県石巻市の高校で校長をしていた友人のM氏に携帯電話で連絡を取ろうとしましたが、1週間近くつながることはありませんでした。
まさかとは思いながらも、わずかな希望を持って通信を試みているうちに、彼の元気な声が返って来ました。
生徒が何人か行方不明で、自分の家や実家の鮮魚店も跡形なく流されてしまい、体と車だけ残ったということでした。
校長室に寝泊りして生徒の安否を確認している毎日で、何か必要なものはないかと尋ねると「静岡のお茶が欲しい」と私が貢献できるよう配慮してくれる優しい男は健在でありました。
すぐに大型段ボールでお茶を送りました。
しばらくして現地を訪ね、彼の唯一生き残った愛車で、女川・石巻を中心に被災地を案内してもらいましたが、目を覆うばかりの惨状に言葉が出ない状況でした。
焼津の港には、岩手県立高校の実習船「リアス丸」が帰港できずに停泊中で、地元高校生の「一人一品運動」で寄せられた文房具やJAからの生活用品などが多数実習船に積まれ、出港前に甲板で生徒代表から被災地の副校長に目録を渡す場面では、副校長の流す涙と頭を深く垂れる姿に、関係者や取材陣は涙を抑えられない状況でした。

今、日々の生活を振り返ると、あれだけの衝撃を受けたにもかかわらず、被災の恐ろしさが薄れ、教職員や生徒に伝えるべきことを疎(おろそ)かにしているように思え反省しきりでありますが、そのタイミングには難しいものを感じます。
平成最後の元旦を迎え、前年が「災」の漢字で象徴されたタイミングで紹介するのは、決して時期を逸したものではないと思い、記憶をたどりながら紹介してみました。
「災害は忘れたころにやって来る」と言われて育ちました。
地震王国日本では、いつどこで地震をはじめとする大災害が発生してもおかしくはありません。
特に人口が集中し、高速道路や高層ビル、地下鉄が縦横無尽に走る大都市圏では、大災害による影響がどこまで及ぶか計り知れないものがあります。
そのような環境で日々を過ごす私たちは、常に「災」を意識しながら、いざという時に適切な対応が取れるよう、物心両面の準備を怠ってはならないと肝に銘じた次第です。
命の尊さを改めて痛感しながら、「災」のない平和な年になるよう祈った元旦でした。

校長 松田 清孝