2 月に千葉県で開催が予定された「加納久宜公」没後 100 年の墓前祭は、新型肺炎の国内感染拡大により中止され、主催者側から依頼された標題の私の講演も中止となりました。加納公のご功績である行政改革、農政改革、教育改革、さらに信用金庫創設等は、当時の国政の根幹に関わる重大な改革であり、私財を投じて全身全霊で取り組まれた国家レベルの偉業として高く評価され、2月に先んじて国や関連自治体で没後100年式典が催されました。1879 年(明治 12 年)に加納公 31 歳で校長として赴任された新潟学校は、大規模校で生徒 のストライキが頻発する難関校でもあったことから、この学校を改革するにあたり加納公は 「教育界の名誉のため、400人や500人程度の学生を放逐するくらいは朝飯前のことである。」(城南信用金庫加納公研究会冊子から引用)と豪語されたといいます。当時の状況下での改革は、それ程の覚悟なしには達成できないものであったのでしょう。加納公の姿勢には「義を見てせざるは勇なきなり」の正義感と実践力を強く感じます。その使命感は教職員に勇気を与え、生徒や学生の心に火を灯し、本気にさせるとともに、大きなうねりを生み、社会をも突き動かす原動力になったことでありましょう。
3 年前、荏原高校に赴任した私は、かつて学校存続の危機にあった本校が、その後安定的に定員を確保できる状況になった今こそ、加納公が示された「知・徳・体」のバランスの取 れた「より高い文武両道を実現する学校を目指す時である」と判断し、「荏原イノベーション・ プロジェクト」と命名した教育改革案を教職員に示し、内外に情報発信しました。この決断の背景には、加納公創設の学校を存続させることに意を決した前校長や、全面的なご支援をいただいた本校同窓生諸氏の献身的なご尽力があったことを申し添えなくてはなりません。心から敬意を表する次第であります。関係者の中には、教育改革など無謀な挑戦だと論じた人も少なくなかったものと思います。しかし、加納公の教えを基に教職員が生徒を慈しみ教える「慈育厳教」の中で変化が見え はじめ、整然とした集合や礼節、真摯な授業態度が確立され、文武両道の教育に期待する意識と意欲の高い生徒が増加し、荏原の高い可能性が見事に証明されることになりました。相乗効果としてスポーツでは世界大会 7 人出場、本年度は世界大会優勝、アジア大会優勝 者も輩出し、全国大会には 15 競技が出場、全国優勝 2 競技と歴代最高の実績を残しました。進路面でも難関大学や日体大 117 名の合格など、設置校の拠点校の存在感を示しています。具体的には、生徒の主体性を重視し仲間と協力して課題を解決する協働性を育成するため、 体育祭や文化祭等の企画運営を生徒に任せたところ、生徒会役員や体育委員が教員も驚くほ どのリーダーシップを発揮し大成功を収め、生徒が自らの潜在能力の高さに気付き始め、自己肯定感の高まりに顔は輝きを増し、学校全体に活気が漲(みなぎ)っているのです。
本校の教育信条は「求めて学び・耐えて鍛え・学びて之を活かす」であり、その意味は勉強やスポーツは人から言われて行うのではなく、自ら積極的に取り組むこと。そして、苦しい事から逃げずに立ち向かい、仲間と協力して克服することでさらに高い目標に挑戦しよう というものです。さらに、身につけた知識や技術、能力を学んだ時点から活用し、将来的には「世のため人のために活かす」という考え方であります。私は本校赴任直後からこの信条をキーワードにして、学校のホームページや校長ブログ、を通して、本校関係者はもとより中学生やその保護者の皆さんに訴えてまいりました。現在、我が国が求める次代を担う人物像は「主体的に行動し、仲間と協働的に課題解決を図り、思考力・判断力・表現力を身に付けた人材」と示されていますが、まさに本校が目指す「人づくり」の方向性こそ、国の方針と同一線上にあるものと確信を得ています。少子高齢化やグローバル化の急激な進展、外国人労働者の受け入れ、AI や ICT の発達など、現代社会が大きく変化していく中で、信頼され、期待されるコミュニケーション力の高い人材を輩出し、地域とともに発展する学校づくりは、加納公の創設理念と合致するものです。さらに本校は、都内私学唯一の「学校情報化優良校」に認定され、全校生徒が 1 人一台の iPad を持ち、授業や学校行事、部活動にフル活用し、都内で最も進んだ ICT 教育の学校として注目を集めております。
今後も加納公の教えを礎に「より高い文武両道」の実践を推進し、 教職員・生徒・学校関係3団体と力を合わせ、力強く前進する本校を是非ご注目ください。