日本を訪れる外国人観光客が選ぶ「日本の世界遺産、名所、絶景」をネット検索すると、アンケート結果が紹介され、その中で「富士山」が必ず上位にランクされていることに、静岡県出身の私は大いに満足し、一人納得の境地でほくそ笑んでしまいます。
  しかし、富士山は「世界文化遺産」であって「世界自然遺産」ではないことに違和感を抱く人は、意外に少ないのではないでしょうか。いや、大変失礼かとは思いますが、その違いに気付いていない人も多いのではないでしょうか。
  富士山の世界文化遺産登録は、平成25年6月でありましたが、当初は、遺産価値の高い?世界自然遺産登録を目指しましたが、登山客の多さやその影響による自然破壊、ごみの不法投棄、し尿処理不備等により、対象には程遠いと評価されたため、関連施設を含む、世界文化遺産登録に切り替えて申請した経緯があるのです。
  私が県のスポーツ担当部局の長であった時、世界遺産登録に向け「富士山一周駅伝」を企画する中で、富士山の驚きの事実を知ることになりました。遺産登録決定直後にアルピニスト(登山家)の野口健氏が、『世界遺産にされて富士山は泣いている』という本を出版し、すぐに購入した私は、その内容に唖然としました。
「夏の富士山には白く細い帯のような線が見える。それは、登山客の使用した大量のトイレットペーパーが、し尿と共に廃棄され残ったものだ。」 と書かれていました。山麓のあちこちに、壊れたテレビや洗濯機など粗大ゴミが大量投棄され、目を覆うばかりの惨状があり、遺産登録によりその実態を露呈する結果になったというのです。富士山はこんな姿を知られ泣いているに違いない、との思いで野口氏は著書を通して我々にメッセージを送ろうとしたのだと思います。
  ちなみに、野口氏の呼びかけで富士山クリーンキャンペーンは平成14年から続けられており、バイオトイレの導入などで登山道は見違えるほどにきれいになったとのことですが、まだまだ産業廃棄物や登山客のごみの投棄が後を絶たないと言われます。
  遠くから眺める富士山は、いつも変わらぬ美しさで私の目に映ります。しかし、実際には荷物運搬ブルドーザーの痕跡や、ごみ投棄の現実の一面が厳然と存在します。富士山の事例に限らず、日頃私たちが見聞する物事の中には、表面的な部分と見えない一面があるということを、念頭に置いて考える必要がありそうです。
  ネット社会の普及は、情報量の膨大化やスピード化時代をもたらし、利便性は高まりましたが、反面、真実を見抜くリテラシー能力がないと、情報が過剰になり何が本物で何が真実なのか、わかりにくい危険性を孕(はら)む時代を招いてしまいました。人の心も同様に、少子化や ICT化によるコミュニケーション不足が指摘され、小さなことでも様々なトラブルに発展することが目立つようになってきました。
  事実は何であるのか、相手の真意はどこにあるのかを理解する力、見抜く力を身に付けることは、美しいものや真実を正しく認識できることにつながります。
  自分は友達を正しく理解しているだろうか?誤解していることはないだろうか?メールの交換だけでなく、互いに向き合って語り合い、楽しい時間を共有し合うことで、感情豊かに打ち溶けて互いに理解し合い、本物の絆が築かれるものだと思います。
  表面だけで判断することなく、様々な一面があることを理解することで、不要な摩擦や偏見もなくなるものです。本物の美しさや真実を見抜く力を身に付けたいものです。

                                                       校長 松田 清孝