今回のテーマはこれまでと趣(おもむき)を変え、スポーツの歴史の一部分を取り上げてみたいと思います。なぜ国民体育大会を選んだのかと言いますと、私は2003年に開催された第58回国民体育大会の開催準備業務に4年間従事し、先催県(静岡県)の担当として後催県の大分県から招待を受け、国体の準備業務の概要や課題を講演するという貴重な体験を有しており、行政の職員でもなかなか経験できない、担当者しか知り得ない一面を持ちますことから、ほんの少し紹介してみたいと思ったからです。国体は都道府県の持ち回り大会ですから、一度開催すると同じ自治体には約50年は順番が回ってこない大会です。是非はともかくとして、私が国体の開催準備を担当したことは、殆どの人が経験できない極めて少ない機会に遭遇したと言える出来事でした。1946年(S21)終戦直後の混乱期に、国民に希望と勇気を与えスポーツを通して明るく活気のある社会づくりを目指し、社会資本やスポーツ環境の整備なども視野に入れながら国民体育大会はスタートし、以来73年の歴史を重ねてきました。国内外で多くの競技会が開催される昨今では、もはや国体の役割は終えたと評価する人も多く、トップアスリートの参加が少ないとも指摘されるようになりました。1961年(S36)にはスポーツ振興法が制定され、第6条に国民体育大会の開催が明記され、その3年後に開催されたオリンピック東京大会では、日本選手が金16、銀5、銅8のメダルを獲得し、スポーツ立国日本を世界にアピールしました。1978年ユニセフの「体育・スポーツ憲章」では、「スポーツの実践が全ての人々の基本的権利であり、国家行政には国民のスポーツ要請に応え、組織体制や施設などを整備する国家的義務がある」と謳われました。スポーツ振興法は2011年(H23.8)に「スポーツ基本法」に改正され、第26条に国民体育大会の開催が従来同様に明示されており、前法に不足したスポーツ権の理念等を定めた主旨が奏功し、2020東京オリンピック・パラリンピック開催に向けた「スポーツ庁」設置にもつながる有為な法整備になったものと私は考えています。
固い話になりましたが、私が国体担当であった時にも外部団体から、「役割を終えた国体を早く廃止したらどうか」といった指摘が何回かありましたが、その都度「国体は法令で開催が義務付けられた唯一の大会であり、廃止には法改正が必要です。」と説明していた当時を思い起こし、今も同様の議論があることに違和感を覚えます。その国体も4年後の2023年から名称を「国民スポーツ大会」に改めると報道されています。時代と共に実施競技や参加資格、簡素化などで経費負担軽減や実施形態を変えながら、スポーツの発展と国民の健康意識の高揚に貢献してほしいと思っています。また一般にはあまり知られておりませんが、開会式直後の役員懇談会では、参加県の代表が一堂に会し、開会式にご出席された天皇皇后両陛下と懇談させていただける会に何回か出席できたことが、私の人生の貴重な宝物になっています。
荏原高校からは毎年、いくつかの競技が国体に参加します。代表の生徒には国体の持つ意義を簡単に話しますが、ここでご紹介したように長い歴史の中で、時代の変遷とともにその役割や開催の形態を変えながら、存在感は弱くなりましたが我が国を代表するスポーツの祭典として君臨していることに変わりはありません。高校生にとって、インターハイ、国体、選抜大会は憧れの3大大会でもあります。国体開催準備に全力で取り組んだ当時を思い出すと、担当した者として国体に対する思い入れは未だ強く、可愛い教え子を見るような愛着が残っている自分に気付きます。
校長 松田 清孝