本校は明治37(1904)に荏原高校の前身である荏原中学校として設置認可を受け、翌年の明治38年に開校し、初代校長に加納久宜子爵が就任されました。加納公は我が国の農政改革、教育改革、更には県政改革や信用金庫の創設等において、世界の趨勢に鑑み、国の根本をなす体制づくりに私財を投じ、全身全霊で取り組まれた「改革の人」として、全国各地でその功績をたたえる行事や、研究会の活動が活発に行われている実態が見られます。

 

 本校では毎年、城南信用金庫加納公研究会様から研究冊子をご提供いただき、新入生全員に配布し、加納公のご功績について学ぶ機会を設け、校長ブログ等にも掲載して全校生徒や保護者、一般の皆様にもお読みいただけますよう努めております。

 この研究冊子の33ページには、加納公がご兄弟で学習院の創設に関わられた著述があり、その中に「ノブレス・オブリージュ」という言葉を見つけることが出来ます。

 明治2年、岩倉具視の政策による「版籍奉還」と太政官通知により「公卿諸侯の称号を廃し、華族とあらたむ」として作られた身分制度の改正がなされ、その華族の子弟が学ぶ「華族の学校」として明治10年に学習院が創設され、初代校長に加納公の兄である立花種恭氏が就任された経緯があります。

 

 話は変わりますが、私が校長として勤務した静岡県の公立高校や、現職を含む私立高校の14年間をとおして、教育方針のキーワードとして掲げて来た言葉は「求めて学び・耐えて鍛え・学びて之を活かす」であります。

 その意味するところは「勉強も運動も他人に言われて取り組むのではなく、自分から積極的にチャレンジすること。苦しい事や辛い事から逃げることなく、仲間と協力して苦難を乗り越え、次の難関に勇気を持って立ち向かうこと。そしてこの過程で育まれた知識や技術・人間力を、身に付けたその時から勉強や運動、生活全般に活かし、さらに世のため人のために活用して社会に貢献し、充実した人生を送ること。」であります。

 この言葉は全校朝礼での校長訓示や学校説明会の校長挨拶等で紹介しておりますが、その根源は新渡戸稲造の著書「武士道」の中に書かれた「ノブレス・オブリージュ」であり、私自身の「座右の銘」ともしている重要な教訓の一つになっています。

 

 ノブレス・オブリージュはフランス語でありますが、ノブレスは英語でノーブル(高貴な人・貴族)、オブリージュはオブリゲーション(果たすべき義務・役割)と訳され、中世ヨーロッパの貴族は「あらゆる犠牲を厭わずに領地領民を守り、私財を投げ打ってでも社会に尽くす義務を負う」という精神を象徴するもので、新渡戸は武士の社会にも、質は違えども基本的にこの思想が根底にあると述べています。

 加納公のご功績の原点には常にこの「ノブレス・オブリージュ」があり、様々な社会貢献を推進される原動力になったであろうと推測し、畏敬の念を強くしております。

 

 時代は移り、こうした考えをそのまま現在の社会情勢に当てはめることは難しいと思いますが、高校生に説明する際には「スポーツや勉強で高い実績を有する学校の生徒として、常にその名声を担う立場に誇りを持ち、思いやりの心を持ちながら、責任ある行動を心がけなくてはならない」と言い換えて話すよう努めております。

 こうした指導は、加納公のご功績や、本校建学時の精神に外れるものではないと信じ、今後も引き続き、加納公の教えとして説き続けるべきであると考えております。

 

 日本体育大学荏原高等学校18代校長として、初代加納久宜校長の尊い教えを絶やすことなく継続発展させるためにも、加納公のご功績を研究される皆様や本校に関係する皆様から、引き続きご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げる次第であります。