入学式から 10 日余りが過ぎ、新しい制服や仲間、通学方法に慣れた 1 年生が、授業の開始で生活のリズムが整い始め、すっかり高校生らしく見えるようになりました。 一方で、コロナ禍は第4波の様相を呈し、まだまだ気の抜けない日々が続きますが、 意欲に満ちた高校生活をスタートさせてくれたものと目を細めております。 入学直後の新入生オリエンテーションでは、恒例の「礼法指導」が体育館で行われ、 短い時間ではありましたが様子を見させてもらいました。緊張感のある中で凛々しい態度が身に付き、一気に大人っぽく感じられる瞬間でもありました。
本校は「文武両道」を掲げ、前年度の進路実績では東京外国語大学をはじめ難関私大の慶應義塾大学、青山学院大学、学習院大学など多数の合格が出ており、日本体育大学には4年連続で100名を超える合格実績を残すことが出来ました。
運動面では例年10競技以上で全国大会に出場する実績を有し、体操競技や柔道、ライフセービングは全国優勝の常連校として注目されています。 都大会、関東大会、全国大会、時に国際大会まで含めると、表彰を受ける生徒数は年間で相当な人数にのぼり、必然的にメディアや関係紙等に取り上げられる機会も多くなります。取材等に際しては本校を代表する生徒として、さらには各競技団体の代表に相応しい態度やマナー、更には発言等が求めれることになります。これまでに世界チャンピオン、アジアチャンピオン、多くの全国チャンピオンたちが校長室へ大会報告に来てくれましたが、私が必ず掛けてきた言葉があります。 それは「あなたは今後、日本代表として日の丸を背負う可能性が高い。代表に相応しい礼法や感謝の態度、そして心に響くメッセージを常に用意しておきなさい。そのためにも本をたくさん読んで、良い言葉を見つけなさい。」でありました。
近い将来、多くの人に愛され応援してもらえる我が国を代表する選手になるには、 美しい礼法、謙虚な言動、マナーが不可欠であることを自覚してほしいからです。
4月12日、ゴルフ4大大会で最も権威ある大会とされるマスターズゴルフで、松山英樹選手が日本人初となる優勝を飾り、念願のグリーンジャケットに袖を通しました。
その偉業はテレビのテロップで速報され、ゲスト解説者が暫し感涙に咽ぶ状況で、 ゴルフファンならずとも感激と誇りを満喫されたのではないかと思います。
19歳から挑み続けた松山選手の快挙が世界の注目を集めたのは言うまでもありま せんが、同様に専属キャディーを勤められた早藤将太さんが最終ホールのピンから旗を外した後で、コースに向かって深々と一礼したことが世界中で大変な反響を呼んだことも報道されました。
私たち日本人にとって武道は勿論のこと、グラウンドやプールなどに向かって日本人選手が丁寧に一礼するシーンを多くの競技で見慣れているためか、自然な所作として認識しているのかもしれませんが、世界の人々からすれば、世界的快挙を成し遂げても冷静、かつ謙虚に対応する日本人の礼法に驚きを覚えると同時に「美しさ」をも感じているのではないかと思った次第です。 また別の報道で、現地のテレビ番組の優勝インタビューにおいて一通り対応を済ませた松山選手に対して、通訳を務めたターナー氏が松山選手の耳元でささやいたとされるアドバイスも話題になっていました。それは「最後にマスターズの大会関係者に対して感謝の言葉を述べるように。」というものであったそうです。
松山選手が世界の覇者として大会を支えてくれた全ての人々に感謝の気持ちを述べることは、偉大なプレーヤーであるとともに、一流の人格者として認められるための重要なマナーであることを、ターナー氏は彼に伝えたのだと思います。
この機転が「世界の松山」をさらに強く世界中に印象付けたと言っていいでしょう。
世界の頂点に立った松山選手と早藤キャディーが見せてくれた謙虚さと感謝の姿勢が、新入生の礼法指導と見えない線でつながっている様に私には思えました。
強いだけでは認められない、また気持ちだけでは上手く伝わりにくい、人間関係が希薄になりがちな時代を生きる私たちには、形やこだわりを超えたレベルで自然に表れるものが必要である、その一例が挨拶であり礼法であると私は思っています。
武道の基本である「礼に始まり礼に終わる」の教えのように、互いを敬い、自他共に栄え成長する気持ちを礼法によって表現し、瞬時に認識し合う阿吽(あうん)の呼吸がそこに生まれる、象徴的な文化の一例でもあると考えます。
礼法は人と人をつなぐ「社会の入り口」であると思っておりますし、その必要性と美しさは論ずるまでもないことでありましょう。
結びに、江戸時代前期の儒学者で「養生訓」でもおなじみの貝原益軒が、人の礼法について説いた金言があり、これまでに公私立高校の新任教員研修会などで「礼法の必要性」として引用してきたのでここで紹介しておきたいと思います。
「人の礼法あるは水の堤防あるが如し。水に堤防あれば氾濫の害なく、人に礼法あれば悪事生ぜず」。ここでの悪事とは、自分にとって良くないことと訳して使っています。良好な人間関係の構築に「美しい礼法」は絶大な効果を発揮してくれる筈です。